翌年三月。
桜の蕾がほころび始めた頃、祖父は病室の窓から桜を見た。病院の中庭に、一本の染井吉野があった。三分咲き。
「咲いたな」
祖父はそう言って、笑った。ノートの最後の項目に、チェックを入れた。万年筆のインクが少しかすれた。
その三日後。桜が満開になった日の朝、祖父は静かに息を引き取った。
最期の言葉は「ありがとう」だった。
誰に向かって言ったのかはわからない。ベッドの周りには祖母と、海斗の母と、海斗がいた。三人のうちの誰かに言ったのか、三人全員に言ったのか、あるいはもっと別の誰かに言ったのか。
葬儀にはたくさんの人が来た。
祖父の友人たち。近所の人たち。昔の同僚。祖父がリストに書いた「十二人の友人」のうち、九人が来ていた。残りの三人は遠方で来られなかったが、弔電を送ってきた。
みんな、祖父との思い出を語ってくれた。
「お父さんには、最後にちゃんと『ありがとう』って言えました」
祖母がそう言って、静かに泣いた。泣いているのに、顔は穏やかだった。矛盾している。でも、矛盾していなかった。悲しみと安堵は同時に存在できるのだと、十歳の海斗は初めて知った。
海斗はその光景を見ながら思った。
──これが、ちゃんとさよならを言えるということなんだ。

やりたいことリスト。チェックマーク。全部埋まったノート。
祖父は半年を使って、さよならを完成させた。一つずつ、丁寧に。会いたい人に会い、言いたいことを言い、見たいものを見た。桜まで見た。
完璧なさよならだった。
十年後。
海斗は、その教えを裏切ることになる。
大切な人に言葉を伝えるどころか、言葉から逃げた。差し出された手を振り払って、走った。そして、「明日」は来なかった。
祖父の手の感触を、海斗は二十年経った今でも覚えている。骨と皮の手。でも力のあった手。
陽菜の手の感触は、覚えていない。
流星群を見に行く約束をしたとき、握手をした。それは覚えている。でも、陽菜の手が温かかったか冷たかったか、柔らかかったか硬かったか、何も残っていない。記憶は、自分にとって都合の悪いものから消えていく。あるいは、大切なものほど摩耗が早い。

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